京アニ放火殺人事件 全身90%を火傷し瀕死の容疑者 真実を語らせるため命をつないだ医師の画期的な治療法

公開: 更新: 日テレTOPICS
京アニ放火殺人事件 全身90%を火傷し瀕死の容疑者 真実を語らせるため命をつないだ医師の画期的な治療法
京アニ放火殺人事件 全身90%を火傷し瀕死の容疑者 真実を語らせるため命をつないだ医師の画期的な治療法

鳥取大学医学部附属病院で現在高度救命救急センターの教授を務める上田敬博医師は、今から約5年前、ある重大事件の容疑者の命を繋いだ。2019年7月18日、アニメ制作会社・京都アニメーションに男がガソリンを撒き、火を放ち、第一線で活躍していたクリエーターなど36人の命が奪われた。

火を放った男も全身に重度の火傷を負ったが、この男の治療を担当したのが上田医師だ。上田医師はある思いから懸命にその男の命を救う。上田医師が行った画期的な治療とは?再現ドラマで紹介した。

事件当時、上田医師は大阪にある近畿大学病院の熱傷センターに勤務していた。すぐに、被害者たちが運ばれたと思われる病院に連絡。

その翌日、日本熱傷学会から病院に連絡が入る。日本熱傷学会とは火傷治療の専門医たちが病院を越えて所属し情報共有や連携を支援する団体。被害状況の確認と医師たちへのアドバイスのため、上田医師が病院を回ることになった。

上田医師が院内を回っていると全身に包帯が巻かれた男がいた。男は全身がIII度熱傷の状態。火傷はその重症度に応じてI度〜III度に分けられるが、I度熱傷は表皮だけ、火傷部分が真皮に至るとII度熱傷になり、皮下組織にまで及ぶとIII度熱傷となる。

そしてそこにいた大量放火殺人の犯人と思われる男の治療ができないかと言われる。一存では決められなかった。

男の状態はこれまで見た患者の中でも特に悪く、助かる可能性はゼロに等しい。だが、もしこのまま命を落とせばこの事件の真実を語る人がいなくなり、なぜ事件は起きたのか分からなければ被害者や被害者家族は一生苦しむことになる。それだけは絶対に避けたかった。上田医師は近畿大学病院に確認を取り預かることを決めた。

上田医師は状況を理解した上で志願した6人の医師や看護師と共にチームを作り、治療にあたることになった。

事件から2日経った7月20日、男はドクターヘリで上田医師の元に運ばれてきた。この時男は全身の90%以上にIII度熱傷があり、意識不明の状態で治療が始まった。全身火傷ではのどや胸の部分の治療が最優先となる。まず呼吸抑制の解除と熱傷部位の切除を行うことになった。気道が腫れてふさがる危険や、酸素を送り出す際伸び縮みしなければならない皮膚が固まることで、呼吸できなくなる危険性があるからだった。

III度熱傷が全身の15%にあるだけで死亡する可能性がある。血管には無数の小さな穴があり、通常この穴から酸素や栄養を含んだ液体成分が体の中の細胞へ流れ栄養を送っているが、火傷により血管が損傷を受けるとその穴が大きくなり極端に多くの液体成分が漏れ出てしまう。熱傷部分が広範囲になると血管内からどんどん水分が漏れ出て血流が滞り、脳や心臓に血液が回らなくなるのだ。これが、熱傷箇所が15%ほどでも人を死に至らしめる理由。そのため常に血管に輸液を入れ、血流を維持し続けなければならなかった。そうした状況で火傷をした皮膚を取り除く作業が行われた。

火傷により皮膚が壊死するとそこから細菌が侵入し、敗血症など重大な感染症を引き起こす恐れがあったのだ。とにかく火傷した皮膚を剥ぎ新たな皮膚を作る以外、男を救う方法はない。しかし皮膚は体温を守る役割を持っているため、切除すると急激に体温が低下する。一度に皮膚を剥がさず少しずつやる必要があった。失った真皮は自分では生成できないため人工真皮を入れ代用。コラーゲンをシリコンで包んだ人工真皮を使った。体温が34度以下になると危険なので手術は中断。これを全身が終わるまで何度も繰り返した。

男が転院したその日の夜、殺人などの容疑で男に逮捕状が出された。当時41歳の青葉真司容疑者。ニュースで次第に明らかになっていく犯行と、上田医師も初めて見る事件前の男の姿。罪なき人が突然命を奪われた、その理由を明らかにする唯一の手段。それが自分の治療にかかっている。

当時のことを上田医師は、前に別の事件で加害者が亡くなって起訴できないという記事を目にしていたこともあり、とにかく救命することだけを考えていた、と話す。それは京都アニメーション放火殺人事件の約2か月前、川崎市登戸で起きた無差別殺傷事件。スクールバスを待っていた保護者や児童が突如切りつけられ2人が死亡。犯行直後に加害者もその場で死亡し、動機などの詳細はわからないまま捜査が終了した事件のことだ。「被害者の方が悔やんでも悔やみきれない。迷宮入りするというのは、やはり避けないといけない。それだけはなんとか防ぎたいなという気持ちは強かったです」と話す上田医師。

自身が医師を目指したのは九州大学の勤務医をしていた父の影響だった。その後、近畿大学医学部へ進学。在学中、阪神淡路大震災が起き上田医師は医療支援をするボランティアとして被災地で支援活動を行った。その経験から、研修先に選んだのは神戸の病院だった。

2001年の大阪教育大学附属池田小学校で起きた無差別殺傷事件の被害者の救命や、2005年のJR福知山線脱線事故の救命にもあたってきた上田医師。やがて、勤務していた救命センターで熱傷専門の医師が不在になり、熱傷治療の大事さや危険さを経験していた上田医師はその道を選ぶことになる。そのため熱傷患者の救命救急には経験と自信があったのだ。

男の1回目の手術から数日後、前回と同じような処置が行われた。人工真皮だけでは漏れ出る体液を止めることはできず、表皮が必要となる。一般的に、火傷で皮膚を移植する際は本人の健康な皮膚を切除し移植する。だが、男には健康な皮膚はほぼ残っておらず自家培養表皮を利用することとなった。それは自分の細胞を培養してつくる細胞シートで、健康な皮膚を少量取り表皮細胞を増やしてシート化し、傷に移植するもの。上田医師は日本でいち早くこの自家培養表皮を実施した医師の一人だ。

男にはわずかながら健康な皮膚が残っていた箇所があった。犯行時身に着けていたウエストポーチの部分だけ損傷が少なく、8㎠ほど、500円玉よりひとまわり大きいくらいの健康な皮膚が残されていた。上田医師は男の健康な皮膚を切除し自家培養表皮の作製を依頼していた。完成までは約4週間。それまでギリギリの状態を維持しなければならない。

転院して4日目、意識が戻った。とはいえ、血圧は依然生存ギリギリで予断を許さない状況。そんな中、事務員がある手紙を上田医師に見せた。それは「なぜ、殺人犯を治療するんだ」といった治療に対する批判的なものだった。だが、上田医師の信念は揺るがなかった。病院は万が一に備え警備体制を強化した。

上田医師は懸命の治療を26日間続け、ついに自家培養表皮が病院に届き数回に分けて移植した。これにより、細菌から身を守れるだけでなく体液が漏れ続けることに歯止めが効くようになり、血管に空いた穴も縮小。血圧の回復が望める。そして治療を開始して48日。男は危機的状況から脱した。その数日後声を発するまでに回復。

10月24日、最後の手術が終了。11月14日、男は上田医師たちの元で4か月の治療を終え、最初に運ばれていた病院へ転院。事件に対ししっかり向き合う日が来てほしい、そんな願いから上田医師は転院後もその状態の確認を続けた。翌年5月27日、回復を待っていた警察は青葉真司容疑者を逮捕した。

裁判では犯行時の責任能力について争われることに。今年1月25日、京都地方裁判所は青葉被告に責任能力はあると認め死刑を宣告。弁護側はこの判決に不服を申し立て控訴。現在もまだ裁判は続いている。

この事件の後、上田医師は鳥取大学医学部附属病院の高度救命救急センターの教授に就任。2021年には、全身の95%を火傷していた男性患者も治療している。青葉被告よりも重症度の高い火傷患者の治療だった。

2021年2月。鳥取大学医学部附属病院に自宅で火事にあったという50代の男性患者が運ばれてきた。その男性は、全身の95%を火傷していた。治療の方法はやはり自家培養表皮を使うこと。全身やけど状態の男性は、奇跡的にヘソの下の皮膚の一部が健康な状態で残っていたのだ。

ここから培養表皮を作り始めそれが完成するまでの間、必死に命を繋ぎ止めた。そして約1か月かけて計10回の手術を実施。6か月後、その患者は自分の足で歩けるまで回復した。