大沢たかお&石原さとみ、互いへの信頼と尊敬を語る『風に立つライオン』インタビュー

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さだまさしさんが1987年に発表した楽曲「風に立つライオン」。アフリカ・ケニアで国際医療活動に従事した、実在の日本人医師・柴田紘一郞さんをモデルに作られ、日本に残してきた恋人に宛てた手紙を歌に乗せて綴られたこの曲に惚れ込んだ俳優・大沢たかおさんが、映像化を熱望。その願いを受けたさださんが、同名の小説を発表したのが2013年。そして、このプロジェクトの発案者でもある大沢さん自身が主演を務め、いよいよ2015年3月14日(土)に、映画『風に立つライオン』が公開となります。

物語の主人公は、長崎の大学病院からケニアに派遣された医師・航一郎。周辺で戦闘が続くこの地で、心に傷を負った元少年兵と出会った彼は、医師としての生き方を見つめ直していきます。航一郎を演じた大沢さん、戦傷病院で彼を支える看護師・和歌子を演じた石原さとみさんに、1ヶ月に及んだ過酷なケニアでのロケを通じて感じたお互いの印象や、共演にまつわるエピソードを明かしていただきました。


――ケニアでのロケでご一緒だったお二人ですが、共演した感想、撮影のエピソードなどを教えてください。

石原:一緒に取材を受けるのは初めてなので、緊張しますね。

大沢:なんで緊張するの?

石原:ついこの間まで撮影していたから、こういう格好をしている大沢さんを初めて拝見するので(笑)。

大沢:たしかに、そうだね(笑)。石原さんには、今すごく活躍されている方だという印象を最初に持っていました。この作品の撮影の時も、日本でドラマを撮られている最中でしたから、かなり違う環境にいきなり飛び込んできたわけです。僕は長崎に行った後で、すでにケニアのロケも始まっていたので、スタッフとも関係が深くなっているけど、石原さんは途中からなので、大変だったと思うんですよ。しかも、このチームは荒くれ者が多いし(笑)。彼女がインした時、本人は隠しているつもりなんですけど、本当はめちゃくちゃ緊張しているのがわかったんです。そして、よりによって最初が、事前にたくさん話し合わなけらばならないオペのシーン。「こんな話し合い、毎日やるのかな」と、戸惑ったと思いますよ。それでも石原さんは、参加初日にも関わらずちゃんと意見を出していました。原作本を持ってきて「ここがこうだから自分はこう感じる」と、監督と僕と医療指導の方の前ではっきり伝えて。僕は正直、すごくびっくりしたし、監督もびっくりしていたと思います。すでに準備が出来ていて、トップギアで臨んでいる、ということがよく分かりました。

石原:途中参加だったので、アウェイな感じがあるかなと思って緊張していたんですけど、最初にサラッと名前を紹介されただけですぐに撮影に入りました。余計なことを考えている余裕もなくて、とにかく必死でしたね。

大沢:映像で見るよりも、ずっと過酷な場所です。僕も必死だったし、言葉が違う、現地のエキストラの方々と何とかコミュニケーションしながら動かしているスタッフの皆さんも含めて、いっぱいいっぱいでした。だから、そこは申し訳なかったと思うけど、石原さんは嫌な顔ひとつしない。芝居はベストを尽くし、弱音も吐かず食らいついてきてくれましたし、皆に愛されていました。

――大沢さんから、石原さんに声をかけてあげたりしたことは?

大沢:無理矢理に緊張をほぐそうとしても、彼女は自分で確信を掴まないと納得しない、そんな芯の強さを感じたので、しばらく静観していました。そんなことをしなくても、どんどん溶け込んでいきましたし。もうちょっと緊張させとけばよかったかな(笑)。

石原:最初のシーンを撮った翌日、オペシーンの続き。カットがかかった時に、大沢さんが微笑んでくださったんです。大沢さんも私もマスクをしているので、目で表情をうかがうしかないんですけど。「褒めてくれた!」と勝手に解釈して喜んでいたら、次の日……。

大沢:そうそう(笑)。実は、手術道具の渡し方が逆だったんです。でも、カットがかかった瞬間、「やりきった」みたいな感じですごく良い笑顔をしていたので、つい笑ってしまったんですよ。その次の日に話していて、すれ違っていたことに気付いたんですけど。

石原:勘違いして(笑)。本当は間違えていたことを知って、ショックでしたね。だけど、そのことがきっかけで初めてたくさんお話しができて、撮影に入ったばかりで気を張っていた時期だったので、とても救われました。

――石原さんは、大沢さんとの共演で印象的だったのは?

石原:大沢さんは、ものすごくタフですし、生命力あふれる方で、ケニアという地でこんなに頼れる人はいないと思いました。さっきみたいなことを仰ってますが、本当は、お話していても、いつも楽しませてくださいました。あと、私は英語でコミュニケーションをとるのにいつも必死だったんですけど、大沢さんは子どもたちともすぐに仲良くなってしまう。大沢さんがいなくなると、子どもたちの笑顔も少なくなるんですよ。私も、大沢さんがいない撮影は寂しかったです。和歌子も途中から病院にやってきますが、その後、航一郎さんがいなくなったり、また現れたりするところが、私自身の気持ちともリンクしていました。振り返ってみると、そのことも、私がケニアでちゃんと生きていたんだな、という実感につながっていて、とても大沢さんを尊敬しています。ぜひまた共演させていただける機会があったら嬉しいです。

大沢:でも、石原さんは先に日本に帰っちゃったんですけどね。いらなくなったもの全部、僕に預けて。食べかけのものとか……(笑)。

石原:そんなことないです、ちゃんと新品でしたよ!(笑)

大沢:こんなものを隠し持っていたのかと、驚きました(笑)。石原さんは、余裕がないと言いつつも、結局ほとんどNGも出さないし、素晴らしいプロの役者さんでした。「こういう方が次のリーダーになって行くんだな」と感じましたね。

(続く)

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