伊藤博文と妻梅子は大恋愛のすえ略奪婚だった!?その夫婦愛に迫る

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教科書では教わらない歴史上の人物の奥深き心情をたどり、知られざる物語を紹介する歴史情報番組『歴史秘話ヒストリア』(NHK総合 毎週水曜22時~22時43分)。8月26日は「やっぱり妻にはかないません!~伊藤博文の妻 梅子」を放送する。

大河ドラマ「花燃ゆ」にも登場する伊藤博文は、17歳の時に松下村塾に吉田松陰に入門。その後、松下村塾で出会った木戸孝允、高杉晋作、久坂玄瑞らと交わり、尊皇攘夷の志士として活躍した。明治維新後は元年に兵庫県知事となり、明治18年(1885)に初代内閣総理大臣となる。

今回は、幕末から明治にかけて激動の時代を生き抜き、近代国家の礎を築いた夫婦、博文とその妻の梅子に注目する。下関の茶屋で働いていた梅子は刺客に追われる博文を助け、それをきっかけに二人は大恋愛。しかし博文には、すでに実家の両親が決めた妻がいた。

“略奪婚”で梅子は博文と結婚し、夫を支えようと固く決心するが、そこからが大変。明治維新後、新政府で博文は大出世を遂げ、もともと読み書きすらできなかった梅子は、政府高官の夫人として英語やダンスなどの素養を学ばなくてはならなくなる。目の病気を患いながらも猛勉強で西洋文化を身に着け、ついに鹿鳴館での社交や宮中の改革などで大きな役割を果たすまでになった。

内助の功から梅子は「賢夫人」と讃えられるが、博文の周辺では、女性スキャンダルや政策に対する世論の激しい反発など、次々と問題が発生。そのたびに梅子は夫を全力で支えていく。山あり谷あり、波乱万丈の夫婦の物語。

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