元日ハム・森本稀哲「しくじった後でも…」説得力ある訴えに視聴者感動

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元プロ野球選手の森本稀哲が、9月3日放送の『しくじり先生 俺みたいになるな!!』(テレビ朝日系列、毎週日曜21:58~)に出演。自分らしさを見失わないための授業を行った。

森本は、北海道日本ハムファイターズ、横浜DeNAベイスターズ、埼玉西武ライオンズで、1999~2015年まで活躍したプロ野球選手。ベストナイン1回、ゴールデン・グラブ賞3回を受賞するという輝かしい功績を残すだけでなく、ファンを喜ばせるパフォーマンスを行う選手としても有名だった。これは、今までにないファンサービスを行った元プロ野球選手の新庄剛志の影響によるものだったのだが、ここから徐々に森本に変化が訪れたという。

小学1年生の時に、髪の毛などが抜ける“汎発性円形脱毛症”を発症した森本。同級生はこの病気を理解してくれたものの、先輩や他校の小学生からはイジられる対象となり、非常にコンプレックスになっていたそうだ。そんな中、友人の勧めで野球と出会い、みるみる上達。目につきやすい病気ということもあり、バカにされることもあったが、試合で活躍すると相手は何も言えない。そうして野球と向き合うことで「いつしかコンプレックスが消えた」と言い、森本は「コンプレックスが気にならないくらいのめり込むことをみつけよう」と生徒に教えた。

森本は高校卒業後に日本ハムファイターズ(当時)に入団。しかし、自分の力で困難を乗り越えたゆえに形成された性格が災いし、なんと、コーチや先輩の言うことを聞かない頑固者となってしまったのだ。1軍や2軍を行ったり来たりしてくすぶっている頃、メジャーリーグで活躍していた新庄が同チームへ入団することに。それまで先輩との交流もなく尖っていた森本は、内心「最悪!」と思っていたと語り、同じ外野手のライバルが増えることに嫌悪感を持っていたと明かした。しかし、新庄とはひょんなことから意気投合し、彼を尊敬するようになったそうだ。森本も新庄の計らいで一軍に定着。どんどん成績も向上していった。

新庄は本拠地の札幌ドームを満員にすべく、様々なパフォーマンスを披露。連日ニュースでも取り上げられるようになり、観客動員に繋がったとのこと。森本も自身の成績のみならずパフォーマンスにも力を入れるようになった。2006年のオールスターゲームでは、ドラゴンボールのキャラクターであるピッコロの恰好をして出場するなどファンを喜ばせた。

そんな中、新庄が引退。翌年には新庄の背番号を継承し、プレッシャーを感じていた森本だったが、チームはリーグ優勝。個人でも打率3割を残すなど大活躍した。しかし、次の年のシーズン中にデッドボールを受けて戦線離脱。1ヶ月後復帰するものの成績はどんどん落ちていった。

森本はそこで練習をするわけでもなく「どうせまた打てるだろう」と慢心する。彼は「これがしくじりの始まり」と振り返り、調子を落ちていたことに歯止めをかける術がなく「しくじっている最中はしくじりに気づけない」と語った。さらに、年俸1億3,000万円(推定)を貰っていた森本は「遊びまくっていた」と明かし、新庄のような派手な生活をいつのまにかマネをしてしまい「飲食費だけでも年間2,000万円以上使った」と告白して生徒らを驚かせた。

FAで横浜に入団するも成績は残せない。戦力外通告を受けた森本はテスト生として西武に入り、代打などで活躍。チームを鼓舞させる役にまわった。2年後、森本は引退を決意した。彼の引退試合となる試合では、8回からライトで途中出場。9回の打順はかなり後だったのだが、チームは森本のために奮起し、森本まで打席が回るお膳立てまでしてくれたそうだ。森本は当時を振り返り「すごい感動をもらった。しくじりはありましたけど、野球人生としては最高の形で終わることができました。人間というのは失敗から学んでどう活かすのか……野球を通じて学べました。皆さんにはしくじった後でもその先はまだ人生があるというのを伝えたい」と訴え、ネット上でも「素敵なお話しでした」「ほんとに感動して泣いてしまった」「森本・新庄のエピソード見て感動(涙)」という感想が寄せられていた。

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