ソニン、壮絶な過去の“しくじり”が「シャレにならない」と話題に

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元EEJUMPのソニンが、3月13日に放送された『しくじり先生 俺みたいになるな!!』(テレビ朝日系列、19:00〜21:48)に出演し、過去の壮絶な“しくじり”を告白。その内容が予想以上で、スタジオのみならず、ネット上でも「シャレにならない」と大きな話題を呼んでいた。

2000年に、つんく♂プロデュースのユニット“EEJUMP”でデビューした彼女。解散後はバラエティー番組などでも活躍し、現在は舞台を中心とした女優として活動しているが、実は仕事でキャパオーバーになり、3回も倒れ、時には病院に緊急搬送されたこともあったと打ち明ける。その原因は、人の指示がないと動けない“指示待ち人間”になっていたこと。上から出された指示に対し、自分で判断もせずに「はい、はい」と何でも受け入れ、それに応えようとところん努力してしまった結果、キャパオーバーになって倒れたという。同じように指示がないと動けない人の一般的な例として「上司の指示がないと何も仕事をしない新入社員」「母親に進路を決めてもらった何も考えない学生」「相方の指示で動いてきたので1人の現場だと何もできない芸人」などをあげ、今回は“指示待ち人間”になって人生の決断力を失わない為の授業を展開した。

まず第1章の「悲劇女ソニン 悲しEEJUMP〜指示待ち人間に訪れる地獄〜」では、16歳の時、テレビ東京の『ASAYAN』のオーディンを受け落選した話を。1次の書類審査は通ったものの、2次審査(会場での面接と歌唱審査)で落選。ソニンは「みんな細くてカワイイし、気合いの入れ方もハンパなかった……」と当時を振り返りながら「早々と落選した私は、すでに劣等感を覚えていた」と。その後、スタッフの目に留まり、3人組ユニットでデビューが決定。それがEEJUMPだった。

世間的には2人の印象が強いが、「実は元々3人組だったんです。1人は、人気アイドルの弟(当時13歳)、もう1人はサッカー少年(当時12歳)。人気アイドルを姉に持っている弟が注目の的で、私の名前は覚えてもらえないし、完全に添え物扱いだった」とソニン。当時の自分について「歌もダンスも見た目も全てが中途半端。地味で取り柄のない落ちこぼれ」と思うようになったという。それからは、ユニット活動においても「とにかく(事務所から)出された指示は全てやりきろう!」と、この時既に“指示待ち人間”人生がスタートしてしまったと思い返していた。

EEJUMPは、デビューに向け猛特訓の日々。一切休みなしで毎日猛レッスン、事務所でひたすら自己啓発本を読書、社会勉強として事務所の電話番や精算書の作成、寺に泊まり込みでの合宿生活(座禅修行)、過酷な富士登山など行ったとか。これに対し、教室からは「事務所にいわれるの?」と驚きの声もあがっていた。そして、ユニット結成から半年後、サッカー少年は「サッカーをやりたい」という理由で脱退し、残った2人でデビューが決定。デビューシングルから1億円をかけてもらいPV撮影も実施。事務所にも期待され、3rdシングル「おっととっと夏だぜ!」ではオリコンランキング最高5位に輝き、ファーストアルバムの発売も決定していたらしく、まさにこれからという時に、相方の不祥事によりEEJUMPは解散となった。

不祥事というのは、当時15歳だった人気アイドルの弟が、2002年4月12日に未成年でありながらキャバクラに入店。その様子が週刊誌に報じられ、わずか2年で解散。ソニンは「彼がこの不祥事を起こす前に事務所と衝突し、行方をくらました事件が一度ありました。彼だけ、半年間休業して、私だけが活動していた時期があったんですが、言われたことに対して応えようと必死で……。彼のフォローもしてあげられず、それは未だに後悔しています」と心境を明かしていた。

解散後、事務所から「何がしたい? どうしたい?」という問いに、ソニンは何も考えられずに混乱。涙と鼻血(両鼻から)が止まらなくなり、体の中が大パニックを起こしたを告白し、スタジオを驚かせた。事務所には「何でもやるから指示をください」と言ってしまい、「ここで私は指示待ち人間が完成していたんです」と振り返った。

その後、事務所から出された指示というのが「実家の高知から韓国までの570kmを走りなさい」というもの。これは『うたばん』(1996〜2010年 ※石橋貴明と中居正広が司会の音楽番組)の仕事で、これを走らないとCDが出せなかったという条件付きだった、と。しかし、マラソン中にメンタルが崩壊。その様子が、VTRで紹介されると再びスタジオ騒然。しかし、この挑戦は話題を呼び、CDをリリースできたものの、体を張った仕事がどんどん舞い込むようになり「NGなしでなんでもやる崖っぷち歌手」と思われるようになったと。中には1人でドミノを6万個並べなさいという仕事も……。その結果、2回目のキャパオーバーでダウンすることになったと打ち明けていた。その時の様子が当時のVTRで紹介され、尋常じゃない彼女の姿に驚きを通り越し、スタジオから悲鳴も。ネット上でも「怖すぎて笑えない」「シャレにならない」「ソニンさん、辛すぎるやろ」「可哀想すぎる」という声が多数あがっていた。

その時の挑戦は、6日間で5万4千600個のドミノを並べ、ソニンは個人によるドミノ倒しの日本記録(当時)を達成。今思えば「一切意見を言わない結果、指示が過剰にエスカレートしていった」と自身も反省していたが、この時の教訓を活かし、ソニンは「耐えることは大事で必要な事ですが、耐えること自体が目的になってはいけない。大事なのは耐えて、“その先に何をしたいのか”なんです」と力説していた。

第2章では、「おっととっとカツカツだぜ〜指示待ち人間の末路〜」と題し、音楽活動でも過激な行動をとっていったことを明かした。19歳の時のソロシングル「カレーライスの女」(2002年8月21日に発売)が発売時に出された時、事務所からの指示は「裸エプロンでCDジャケットを撮りなさい」というもの。そのジャケットは、一気に反響を呼んだが、世間からは「売れるためなら何でもやるのか!」「哀れだな……」とも言われるように。しかし、その一方で、グラビアなどの露出が求められる仕事も増え、ソニンは見た目を磨くために過激なダイエットを開始。1ヵ月でマイナス10キロになると、事務所から今度は「食べなさい!」と言われ、すぐにリバンドしてプラス10キロに。それをダイエット・リバウンドを何度も繰り返したようで、自身を“リバウンドの女王”だったと。最終的には、ダイエットの為にジム通いしていたこともあり、筋肉女になっていたと述べていた。そんな中、過酷なトレーニングのせいもあって、雑誌のインタビュー中に過呼吸で倒れ、3回目のキャパオーバーで病院に緊急搬送されたこともあったという。

「なんでこんなに頑張ってきたのかわからなくなり、虚しくなってしまった」とソニン。そんな彼女の人生を一変させたのが、大竹しのぶとの出会いだ。ソニンは「舞台をほぼ見に行ったことがなかったのですが、しのぶさんの演技があまりにも凄くて、こんな方がいるんだと。その時、ちょうどミュージカルの出演のお話をいただいて、それが大竹さんのミュージカルだったんです。オーディションを受けて、結果、役を勝ちとりました。宮本亜門さん演出のミュージカル『スウィーニー・トッド』で、尊敬していたしのぶさんの演技を毎日、間近で観て勉強できました。(しのぶさんから)凄くアドバイスも頂いたし、この舞台で初めて“役に入り込む”という経験をしました。今までにない衝撃にかられ、舞台の魅力に引き込まれました」。

そこで初めて誰の指示でもなく、自分が本当にやりたい事を見つけたソニンは、その後も舞台をやり続けたいという思いが強く芽生え、「ここが(私の)居場所かもしれない」と思えるように。「ここまで自分の全てをさらけ出せたことに、初めて気が付いて、誰の指示でもない自分の意思と環境が一致した瞬間だったんです」と。その後、舞台女優としてやっていきたいと決めたソニンは、芸能活動を休止し、ニューヨーク留学を決意。1年半の留学だったが、「周りの意見に左右されず、常に自分らしく自然体」でいることの大切さも学び、大きなターニングポイントとなったようだ。

帰国後、彼女が出演したミュージカルのVTRも紹介され、舞台で光り輝くソニンの姿にスタジオ絶讃の嵐。さらに2016年に、演劇界で優れた人物に贈られ賞「菊田一夫演劇賞」を受賞したことを涙ならがに報告し、そんな彼女から「指示でなく 決断した道 支持を得る」という教訓が発表。さらに、同じ境遇に悩んでいる人に向け「一歩踏み出す勇気を持って、自分の意思で進んでみてはいかがでしょうか。勇気をもってください」とエールを送っていた。そんなソニンの授業について、「ソニンの言うことめっちゃ刺さる」「ソニンの話、涙がでる。頑張ることは無駄じゃない」「絶対に逃げないその姿勢、本当に凄い方!」「今日のしくじり先生、今までで一番いいと思う」と絶賛の声が多数あがっていた。

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