元チェッカーズ鶴久政治、メンバーに向けて“最後のリクエスト”

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元チェッカーズの鶴久政治が、11月30日(月)に3時間SPで放送される『しくじり先生 俺みたいになるな!!』(テレビ朝日系列、19:00~21:48 ※一部地域を除く)に出演。自分はチェッカーズにとって、いてもいなくてもいい“空気みたいな存在”だったと初告白する。

1983年にデビューし、瞬く間に国民的人気バンドとなったチェッカーズ。1984年には「涙のリクエスト」が大ヒットし、「ギザギザハートの子守唄」「哀しくてジェラシー」と3曲同時に『ザ・ベストテン』にランクインするほど大ブレーク。髪型を若者たちがこぞってマネするなど、その人気は当時の社会現象にまでなった。

しかし、鶴久は、メンバーの中でも“当時、いてもいなくてもいい空気みたいな存在だった”と初告白し、それは、楽なポジションに甘えまくり、自ら率先して主張しなかったためだと自己分析する。

チェッカーズではサイドボーカルとして活躍していた鶴久だが、加入当初、実はサイドボーカルではなく、自分がメインで歌う曲もあり、“4人いるメインボーカルのひとり”というポジションだった。ところがデビューが決まったとたん、鶴久の知らないところでスタッフがメインボーカルを決定。レコーディング当日に、鶴久はアマチュア時代に自分がメインで歌っていた曲のパートを見て歌うのはなんと「♪う~♪わ~♪ だけだった!」のだことで愕然。とはいうものの、鶴久は不満を言うどころか「……楽だし、まぁいっか!」と、そのポジションに納得し、主張しない、意見を言わない“事なかれ主義キャラ”を自ら受け入れてしまったのだ。

これ以来、“空気状態”の長く苦しい人生がはじまったと明かし、“しくじり授業”ではその苦難の道のりをシルクロードならぬ“鶴(ツル)苦(ク)ロード”と名づけ、サイドボーカルになってからの悲しい事件の数々を教壇で暴露する。さらに、存在感ゼロの鶴久が、ファンからよばれていた、悲しいニックネームに関しても語られる。

その後、チェッカーズは、デビュー10年目の1992年に解散したが、“空気状態”を長く過ごした鶴久は、解散直後から仕事が激減し、さらにキツイ“空気人生”を送るハメに。しかしながら、鶴久の胸には「どうせ再結成するっしょ!」という淡い期待があったらしいが、そんな願いを打ち砕く、重大事件が次々と発生……。

番組は、過去に“しくじった”ことのある有名人が先生として教壇に立ち、同じ失敗をしてしまう人を増やさないよう授業を行う反面教師バラエティーということで、今回、鶴久はチェッカーズの大ヒット曲『涙のリクエスト』に乗って、スタンドマイクを手に教室に現れる。しかし、歌っているのはサイドボーカルパートのみ。「ハモリ部分だけじゃなくて、メインボーカルも歌ってくださいよ~」と生徒たちにツッコまれても動じず、「どうも! しくじりサイドボーカルの元チェッカーズ・鶴久政治です」と自虐的に挨拶、授業を開始。その後、数々の衝撃的な告白に、元モーニング娘。の保田圭が鶴久の吐露に激しく共感しきり。一方、乃木坂46の高山一実は「このままだと、あなたは間違いなく“鶴久コース”ですよ!」と指摘され震撼!? 同じ福岡県出身の森口博子も、鶴久先生の告白授業に涙する一幕も。授業のラストでは、鶴久は「空気のような存在だった自分だからこそできることがある!」と、思いの丈をぶちまけ、チェッカーズのメンバーに向けて、“最後のリクエスト”を熱く呼びかける。

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