福士加代子「強がって表に出せなかった」リオを終えた胸の内を告白

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陸上選手の福士加代子を、11年間、約4000日にわたり取材したドキュメンタリー番組『私がマラソンを好きになった理由』を、カンテレ(関西ローカル)が8月27日(土)16時30分より放送。リオオリンピックのレース後に「もうマラソンは走らない」と引退を示唆する発言をした彼女の“真実”に迫っていく。

カンテレでは、福士がトラックで活躍していた時代や、初めてマラソンに挑戦した2008年などの節目に、「私がマラソンを走らない理由」(2005年)、「私がマラソンを走る理由」(2008年)、「私がマラソンを再び走る理由」(2012年)、「私がマラソンを走る意味」(2013年)、「私がマラソンを走る本当の理由」(2016年)のドキュメンタリー番組を制作・放送してきた。6作目となる今回の番組タイトルは「私がマラソンを好きになった理由」。今年1月の大阪国際女子マラソンでの劇的な勝利から、「金メダル」という最高峰の目標を掲げてリオ五輪に臨むまでの過程、そして最新のリオ五輪での取材を含め、福士が歩んできた軌跡を辿っていく。

10000mなどで3度の五輪を経験してきた福士が、3度目のマラソン五輪選考会で、ついに手にした日本代表の座。34歳になった福士には、2004年アテネ五輪以降、メダルがない女子マラソン界の救世主となるべく大きな期待が寄せられていた。それに応じるように、福士はマラソン代表に選ばれてからというもの「リオで金メダル」と絶えず口にしてきた。もちろん、アフリカ勢などの強豪に勝つのは簡単ではないことは自分自身が一番よくわかっていた。それでもなぜ、敢えて高い目標を口にしたのか? そこには福士自身の知られざる「覚悟」があった。

しかし今年6月、「福士・右足故障」という衝撃的な見出しが紙面を踊った。最終調整の一環として考えていた6月下旬のハーフマラソンを回避するなど、思い描いた五輪への道を順調に進むことはできていなかった。そんな苦境のときに、福士の背中を父が押してくれた。2008年、陸上界の大きな期待を背負ってスタートラインに立った初マラソン。何度も転倒し、マラソンで北京五輪代表の夢は断たれた。そのとき父は「負けたことに負けるな」という言葉をおくり、リオ大会では、福士に陸上の魅力を伝えた高校時代の恩師・安田信昭氏と共に応援に駆け付けた。また、16年にわたり福士を支え、ともに戦ってきた永山忠幸監督。五輪という大舞台に向け、大きなプレッシャーがかかる中、お互いの熱い思いをぶつけ合い、その中で新たな絆が生まれていく。多くの人々の「集大成」が福士の五輪の走りに集約された。

「マラソンをやって、自分が丸裸になった」と語る福士。「金メダル」を敢えて掲げて挑んだリオは、日本人トップの14位……。レース後に「こんなものか自分の力は……という悔しさが出てきた。レース直後には強がって表に出せなかったけど、負けて悔しかったと思う。ほんとにマラソンというものは、厳しいわ。しんどいし、苦しいし、きついけど、挑戦すべきものなんでしょうね。でも挑戦できてよかったと思います。ずっと挑戦するものなのかもしれないですけど……」と語った。番組のカメラの前で、自身の今後に向けて、正直な胸の内を明かす。

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