「PPAP」大ブレイクに繋がった立川談志の言葉

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漫画家・久保ミツロウ、エッセイスト・能町みね子、音楽プロデューサー・ヒャダインの“こじらせ系”クリエーター3人が、毒舌&妄想&本音トークを繰り広げる一風変わった文化的おしゃべりバラエティ番組『久保みねヒャダ こじらせナイト』(フジテレビ系列、毎週土曜深夜)。2月18日の放送では、大ブレイク中「ピコ太郎」のプロデューサー・古坂大魔王がゲストとして出演した。

昔から番組のファンだったという古坂。「(出演にあたって)いろんな思いがあるんですよ」と前置きし、「地上波では相当早い段階で分析しつつ、歴史を言いつつ……」と3人が早くからピコ太郎に目をつけていたことを指摘。そして、能町も、かつて古坂が組んでいたお笑いコンビ・底ぬけAIR-LINEのファンだったことを明かした。当時、『ボキャブラ天国』(フジテレビ)や『爆笑オンエアバトル』(NHK)などのネタ見せ番組で活躍していた底ぬけAIR-LINE。能町の記憶に残っているのは、1998年に放送されていた深夜のネタ見せ番組『ブレイクもの!』(フジテレビ)で、当時、おぎやはぎも出演していたと回想した。

古坂本人によると、自身のコント歴はかなり古く、なんと小学6年生の頃からコント作りに励んでいたそう。当時、アントニオ猪木、大橋巨泉、ビートたけしの3人が出演しているテレビ番組を観た古坂は、その中で一番ウケていたビートたけしに感銘を受け、プロレスラーを諦め、お笑い芸人になることを決意したという。

また、能町が底ぬけAIR-LINEの「あてぶりコント」という音楽ネタが大好きだったと打ち明けると、古坂は「当時、ネプチューンもいた、爆笑問題も先輩とかで同時期にいて、くりぃむしちゅー、当時は海砂利水魚もいて、トークでいくと、知識量とかいろんなことで負けちゃうんですよ」と振り返り、その中で、起死回生の策として音楽ネタを作り上げたと告白。

「あてぶりコント」の他、「PPAP」の元となった、「テクノ体操」などの音楽ネタのコントを生み出した当時。音楽ネタは、ライブなどではウケるものの、テレビではウケず、『爆笑オンエアバトル』では何度も落ち、オンエアに至っていなかったという。しかし、必ずネタがオンエアされる同番組のチャンピオン大会で、確信犯的に「テクノ体操」を披露。観客にはやはりウケなかったものの、審査委員だった立川談志には「あいつら面白えじゃん」と高評価を受け、そこからときどき飲みに連れて行ってもらうなどの交流が始まったという。「僕ら、談志師匠って、偉いってわからなかったんですよ。上すぎて、談志と家康ってあまり変わらないんですよ。ヘアバンドをバチンバチンやったりして」と、雲の上の存在すぎて、逆に緊張せずに接していたことを明かした。これには3人も爆笑。能町が「(談志師匠は)怒んなかったんですか?」と尋ねると、古坂は、「怒らなかったんですよ。“こんなことやるやついねぇぞ~”とかいって」と、むしろ気に入られていたと語った。さらに、「(談志師匠から)“音楽辞めんなよ、音楽辞めんなよ。音楽とお笑いっていうのは絶対一緒だから”ってずっと言われて……」と諭されたことを明かし、その言葉が今の「PPAP」に繋がっていると説明した。

それでも、やはり「PPAP」がこれほど大ブレイクしたことについては、まったく予測できていなかったという。久保も「とりあえず好きなものを続けていくという先にこういうことが待っているって、なかなかないですよね。狙ってもできない」と同意。ブレイクについては古坂が所属するエイベックスも予想できていなかったといい、「社長も言ってましたもん。“俺、引退したほうがいいかな”って。“これわかんなかったわ”って」と笑いを誘った。

古坂は、今の状況に対して、テンパったりせず、冷静に捉えているという。「一発屋、次どうすんだ、いつ落ちるんだ……もう、どんと来いですよね。だって当てたことないですから。一発屋ということは一発当てたという証明じゃないですか」と、今回のブレイクについて肯定的に受け止めているとし、ヒャダインも「一生のうちに誰もが経験できないこと」と語った。

次回の放送は、古坂大魔王と共に、即興の曲づくりにチャレンジ。「ピコ太郎に欲しいなこれ」と古坂が大絶賛する番組オリジナル曲が出来上がるまでに迫る。

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