車椅子バスケ日本代表候補・香西宏昭が語る日本と欧米の環境の違い、東京パラリンピックへの思い

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車椅子バスケットボール日本代表候補・香西宏昭が28日、フジテレビpresents「素敵なスマートライフ」の銀座校プログラム「車椅子バスケ界のエースが語る、世界への挑戦」と題した無料セミナーに出席。“コート上の格闘技”とも呼ばれる車椅子バスケの楽しさと厳しさ、欧州での挑戦、障がい者スポーツ(パラスポーツ)をとりまく日本と欧米の環境の違い、さらに来年のリオ、2020年東京パラリンピックへの思いを語った。

香西は、先天性の両下肢欠損で、12歳から車椅子バスケを始め、ジュニア時代から各世代の日本代表に選出。2008年北京パラリンピックで7位、2012年ロンドンパラリンピックで9位入賞に貢献。18歳で単身アメリカに渡り、2010年にはイリノイ大学へ編入。2012年、2013年には2年連続で全米大学リーグのシーズンMVPを受賞。2013年9月からプロ車椅子バスケ選手として、ドイツ・ブンデスリーガのハンブルガーSVでプレーするなどの実績を誇る。

そんな香西が、まずは車椅子バスケがどのような競技なのかを説明。使用する競技用車椅子について「タイヤの角度が八の字に下側が広がっており、倒れないように後ろに小さいタイヤが付いています」と普通の車椅子との違いを話した。また、プレイヤーについては「障がいのレベルによって1.0点~4.5点の間で、選手一人一人に持ち点があります。腹筋や背筋が弱い重い障がいを持っている選手は1.0や1.5などの低い点数が、普段の生活で義足を使って歩くことができる選手は、4.0や4.5など点数を高く与えられています。同じチーム5人の選手の合計点が14点を超えてはいけないというルールがあるので、障がいが軽い選手ばかりを集めることができず、障がいの重い選手も混じってプレーをする」と特徴を説明した。

小さい頃からスポーツが好きだったという香西。12歳の時に、車椅子バスケの体験会に行ってみたことがきっかけで競技人生がスタート。みるみる頭角を現し各世代で代表入り。18歳の世界選手権の時に「こんなプレーをする選手なりたい! と思える選手に出会った」という。その思いを叶えるために世界一のコーチの元で学びたいと思っていたところ、2001年に来日した世界一のコーチであるマイク・フログリーコーチから、“イリノイ大学では車椅子バスケが盛んなこと” “アメリカにはカレッジリーグがあること”を聞き、高校を卒業してから、2年半英語を学びイリノイ大学に入学。「イリノイ大学は、バリアフリーが進んでおり、障がいを持っていても持っていなくても、均等に機会を与える受け入れ態勢が整っている大学でした」と日米の違いを語り、また「日本にいた時は、同年代の選手が少なく、大人とばかり試合をしていたので、同年代と試合ができることは入学してよかったことの一つ」だと振り返った。

また、指導を受けたマイクコーチは、カナダ人で、スコアでいうと1.0の重い障がいを持っている選手だったという。香西はマイクコーチの指導について「頭で理解させるような方法ではなく、身体に組み込むような納得感がある指導を受けました。腑に落ちる感覚とはこのことかと思えるような、求めていた答えが出てくるような指導をしていただきました」と言い、「自分が後輩に指導する時は、マイクコーチのように選手一人一人の成長スピードや、階段をひとつずつクリアしないといけないことを重きに置いて、指導するように心がけています」と、その影響の大きさを語った。

今後については、「2020年の東京パラリンピックでも、第一線で選手をしたいと思っているので、まず2016年のリオパラリンピックにも出場をしたいです」と目標を語り、現在は、リオパラリンピックに出場するための予選会である『三菱電機 2015 IWBF アジアオセアニアチャンピオンシップ千葉』という大会に向けてトレーニングをしているという。「ぜひ、実際に車椅子バスケを観に来て、応援に来ていただければと思います。車椅子のバスケということで、遊びぐらいじゃないのか? と思われがちですが、金属のぶつかる音、タイヤの急ブレーキの音など、実際に見て感じてください」と競技の魅力をアピールした。