訃報の続いた冬だからこそ、『春になったら』を観て良かったと心から思う

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訃報の続いた冬だからこそ、『春になったら』を観て良かったと心から思う

2024年の冬は、命に関する悲しいニュースが多かった。新年早々、能登で大きな地震があり、何の心の準備もないまま大切な人と別れることになってしまった人たちの悲しみに、日本中が言葉を失った。その後も、著名人の訃報が相次ぎ、まるで自分の体の一部を失ってしまったような喪失感に何度も心をえぐられた。

そんな中、死が物語の中核にある『春になったら』(カンテレ・フジテレビ系、毎週月曜22:00~)を観ることは、勇気のいることだった。自分の中に広がる悲しみの渦が、ドラマを観たことで、より大きくなるんじゃないかと不安になることもあった。

けれど、不思議なことに、いつも観終わる頃にはそんな心配を忘れてしまっている。むしろ騒めき立っていた水面が凪いでいくような浄化感すらあった。

そうして少し落ち着きを取り戻した心がこう噛みしめるのだ――2024年の冬に『春になったら』があって良かった、と。

描き続けたのは、人のぬくもりと命の輝き

入院していた椎名雅彦(木梨憲武)が帰ってきた。最期の場所は、病院のベッドではなくて、我が家で。それは、とても雅彦らしい選択だった。だけど、家に帰ってきたからといって、以前と同じ日常が帰ってくるわけではない。定位置だったソファとテーブルはなくなり、代わりに介護ベッド。一人で歩くのも難しくなり、鼻にはチューブがつながれている。その日は、もうすぐそこまで来ている。

だけど、誰も悲壮な顔を浮かべはしない。川上一馬(濱田岳)のネタ動画がにわかにバズりはじめていることに大騒ぎしたりする。仕掛け人は、息子の龍之介(石塚陸翔)らしい。父よりずっと笑いのセンスがある。瞳(奈緒)たち一家の命運を担っているのは、もしかして龍之介かもしれない。賑やかな家族の風景。いろんなことが変わってしまったけど、それだけは変わらない。

でも、何やら雅彦に対して秘密にしていることがあるらしい。それは、明日に迫った瞳の結婚式。急遽内容を変更したその中身が雅彦に関わっているようだ。おそらくこの流れからすれば、雅彦の生前葬を一緒に行うのだろう。しんみりしたことが苦手な雅彦を、いちばん雅彦らしく見送るには、どうしたらいいか。その答えが、最もめでたい娘の門出とセットにすること。瞳という名前が、雅彦からもらった最初のプレゼントなら、結婚式が、瞳から贈る雅彦への最後のプレゼント。そんな展開が待っている気がする。

思えば、自分のためにみんなが集まってくれるなんて、結婚式とお葬式くらいだ。縁起が悪いなんて眉をひそめる人もいるかもしれないけど、結婚式とお葬式はその人がどれだけ周りから愛されたのか、周りに残せたのかを知る場でもある。きっと瞳と雅彦なら、笑顔でいっぱいの式になるだろう。

グッと来たのは、ラスト。明日に備え床に就く父娘の裏側で、岸圭吾(深澤辰哉)、大里美奈子(見上愛)、神尾まき(筒井真理子)が黒沢健(西垣匠)の指示のもと、式の準備に取りかかっていた。自分たちの式のために夜通し動いてくれる人がいる。その事実が、温かい。

人の生き死に関わるニュースが溢れかえったこの冬、それでも『春になったら』を観て暗い気持ちに引きずられなかったのは、決して死をマイナスなものとして描かなかったからだ。

誰だって死ぬのは怖い。できれば死にたくないし、大切な人に死んでほしくなんてない。でも、いつか必ず人は死ぬ。全員に、平等に、死は訪れる。永遠の別れは、人から気力を奪う。二度と会えないという辛さは、一生続く。ふと話がしたいと思ったとき、もうその人はいない。そのたびに喪失に打ちひしがれる。

でも、たとえば瞳や雅彦が、20年以上前に亡くなった佳乃(森カンナ)のことをしばしば思い出すように、忘れない限りその人が消えてしまうことはない。むしろ今までよりずっと近くに感じるときだってある。

死は、人と人を引き裂くものではない。ただ、形が変わるだけ。不在ではなく、ちゃんと存在し続ける。会いたいと思えば、いつだって会える、心の中で待ち合わせができる。どんなときも明るい雅彦を見ていたら、本気でそんなふうに思えてきた。だから、もちろん胸が切なくなることはあったけど、落ち込むことはなかった。

このドラマを思い出すときに浮かぶのは、決して死の悲しみじゃない。時に口喧嘩を繰り広げながらも阿吽の呼吸の瞳と雅彦だったり、鈍臭いし優柔不断だけど、優しい一馬だったり、最後まで「カズマルくんさん」呼びが変わらない妙に律儀で人のいい岸くんだったり、なんだかんだ言って岸くんへの想いを吹っ切れないところが人間らしい美奈子だったり、いつも瞳たちに振り回されているけど、それでもめげない黒沢くんだったり。お人好しにも程がある人たちの誰かのために頑張る姿が浮かぶから、僕はこのドラマが好きだった。いつもこのドラマに元気づけられていた。

来週、僕たちは大切な人を失う。その事実からは、おそらく逃れることはできない。でも、大切な人を失ったからといって、そこで足を止めるわけにはいかない。人生は続いていく。僕たちはまた歩き出さなくてはいけない。その一歩を踏み出す力を、このドラマはきっと与えてくれると思う。儚く散っても、また次の春には花を咲かせる桜のように、めぐる希望を信じさせてくれると思う。

長い長い冬を終え、いよいよ春がやってくる。別れの春じゃない。希望の春が、来週、瞳にも、僕たちにもやってくる。

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