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松井秀喜や井上怜奈らの内に秘めた物語を…『アスリート感動劇場 1億の心に響く物語』

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逆境に立たされたアスリートたちはどのようにしてそれを乗り越えたのか?何を原動力に夢を抱き続けることができたのか?視聴者に新たな希望と力を与えるドキュメンタリー。

【取り上げるアスリート】松井秀喜、河野和洋、井上怜奈、福原愛、小谷野栄一
【出演者】宮本和知、浦田聖子、大橋未歩(テレビ東京アナウンサー)

●フィギュアスケート・井上怜奈~ガンを乗り越え氷上のプロポーズへ
記憶に残るあのCM。「ガンを乗り越え、氷の上でプロポーズを受けた女性」。フィギュアスケートペアの井上怜奈。なぜあの感動のシーンが生まれたのか?彼女の人生には、知られざる数々のドラマがあった。
アルベールビル、リレハンメルと2度のオリンピックを経験した井上だが、長野五輪の出場は叶わなかった。そして、井上の指導をし、応援していた父がガンで他界する。井上は父の遺志を継ぎ、アメリカでスケートを続けるが、今度は自分にガンが見つかった。そのままアメリカに残り独りで闘病生活をする井上。1年後ようやくガンを乗り越えリンクに戻ることができた。そんな時、ジョン・ボルドウィンと出会う。

そして4年後、2004年全米選手権ペアで優勝する。井上はオリンピックに出たいというジョンの夢をかなえるため、アメリカ国籍を取得。2006年トリノ五輪の出場を果たした。
そして2008年の全米選手権。2人の演技が終了した時、あの感動が生まれる・・・。
幾多の苦難を乗り越えた2人を待っていたもの。それは全世界を感動の渦に巻き込む、輝かしい瞬間だった。


●メジャーリーガー・松井秀喜~高校時代の5連続敬遠があったから今がある

1992年夏の甲子園、明徳義塾×星稜。そして、社会問題にまで発展した「5打席連続敬遠」・・・。わずか2時間の試合が、その後の2人男の人生を大きく変えることとなった。
一方は2009年のワールドシリーズでMVPを獲得するなど華々しい活躍を見せるメジャーリーガー・松井秀喜。もう一方、明徳義塾の投手だった河野和洋は・・・。

「松井を5回敬遠した男」というレッテルを貼られてしまった河野。その後は大学、社会人と野球を続け、プロを目指したが、どこからも声はかからなかった。さらにはアメリカへ渡り独立リーグに参加、メジャーを目指した。厳しい環境で一人戦う毎日。そんな彼を支えていたのは他でもない、松井の存在であった。「僕にとって松井は恨むべき相手ではなくいつもでも目標だった。日本で一番のファンだったかもしれませんね。」
そして度重なる怪我をも乗り越えてきた松井も、あの経験が自分を支えているという。「あのシーンを見ると発奮し元気がでてくる」
あの敬遠を思い出すことで逆境を乗り越えてきた松井。そしてその日以来重過ぎる十字架を背負って生きてきた河野。
河野は、現在は日本に戻り、仕事をしつつ社会人クラブチームで監督兼選手としてプレーを続けている。その背番号は「55」。「松井を敬遠した男、というレッテルも今は誇りに感じます。」


●北海道日本ハムファイターズ・小谷野栄一~パニック障害を克服して
ゴールデングラブ賞、日本シリーズ優秀選手賞獲得。日本ハム・小谷野栄一にとって、2009年はその素質が一気に開花したシーズンだった。順風満帆に見える野球人生。しかし、その小谷野にはそれを左右する重大な出来事があった。
それはパニック障害。2006年、入団4年目の期待されたシーズンに不振が続き2軍に降格。そしてある時異変は起きた。打席に入る際に吐き気を催し、嘔吐することもしばしば。打席に立てない。選手生命の危機に立たされた。
しかし、家族や仲間の理解、励ましのおかげで徐々に回復。復活を遂げる。
そんな小谷野の姿は病気と闘っている多くの人たちに勇気を与えていた。その1人が6歳の少年。小谷野が病気で一番苦しんでいた時期に出会った。少年は余命を宣告されるほどの大病を患っていた。しかし、そのとき交わした約束が、少年に奇跡を起こさせた。会った日の次の試合でホームランを打つという約束を、小谷野は見事果たしたのだ。その姿に勇気づけられ、以前は立つことすらできなかった少年は、今では球場に応援に行けるまでに回復したのだ。
たくさんの人に救ってもらった小谷野が、今は野球で人を救えるようにまでなった。
病気が完全に治ったわけではない。しかし力をくれた全ての人のために、小谷野は全力プレーを続けていく。


●卓球・福原愛~いつもの笑顔の裏側で
幼いころから愛くるしい笑顔と泣き虫愛ちゃんの愛称で親しまれた天才卓球少女、福原愛。マスコミはその姿をこぞって取り上げ、福原は試合の休憩時間までテレビカメラに追い回された。わずか10歳でプロ契約、名門・青森山田中学校へ進学、史上最年少の14歳で日本代表に大抜擢された。そして2003年の世界選手権。日本人としては14年ぶりのベスト8という快挙を成し遂げたのだ。
しかし、順風満帆と思えた福原だが2004年の世界選手権で惨敗。アテネ五輪でも結果を残せなかった。初めて味わった挫折。もっともっと強くなりたい・・・。福原は中国へ渡り、スーパーリーグに参加した。トップレベルの選手を前に敗北を重ねる日々。日本では味わったことのない屈辱だった。
そんな彼女を救ったのが2006年に代表監督を務めた近藤欽司。福原を「日本のエース」として抜擢したのだった。エースとして初めて挑んだ世界卓球団体。福原は大活躍し、仲間からも頼りにされた。 そして、北京五輪。試合中にも関わらず笑顔を見せた。それは卓球が楽しくて仕方がない、あのころと同じような笑顔だった。「卓球がどんどん楽しくなっている」
日本のエースという大きなプレッシャーと責任感が福原を成長させ、強くさせ、新たな卓球の魅力を気づかせてくれた。そんな福原の今の夢。「オリンピックでメダルを取りたい」

【放 送】
2月10日(水) 21:54~23:24
(テレビ東京系列・一部地域を除く)

最終更新 2010/02/10 19:16
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