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シャープ大逆転劇の真実とは?! 液晶テレビに賭けた男たち...『ルビコンの決断』

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「液晶」と言えばシャープというイメージが定着しているが、30年ほど前は格下の電機メーカーという扱いだった。それは家電の王様だった「ブラウン管テレビ」の「ブラウン管」を自社で生産していなかったことなどが理由の一つだった。その屈辱をばねに、どうやって今までにない薄型テレビ、「液晶テレビ」を生み出したのか?そこにはシャープ創業者・早川徳次の「他社にまねされる商品を作れ」という精神が息づいていた。

【詳細】
来年7月の地上デジタル放送完全移行を前に各メーカーがデジタルテレビの販売にしのぎを削っている。その熾烈な争いを液晶テレビでリードしているのがシャープ。AQUOS(アクオス)は2010年6月末現在、国内の薄型テレビのシェアで42%を獲得、トップを走っている。

早くから発明の才能を発揮し、新しい商品を次々と生み出してきた早川徳次(夏八木勲)は昭和6年、真っ先にテレビの開発に着目。昭和26年には国産第一号のテレビの試作品を製造し、昭和28年には量産化に入った。その後まもなくNHKがテレビ放送を開始し本格的なテレビ時代が始まるとシャープの販売シェアは約6割を占め、「テレビのシャープ」とまで言われるようになった。
しかし、国内第一号のテレビを作ったものの資金不足から自前でブラウン管を作らず、アメリカの会社などから購入していたため、資金力のある大手家電メーカーが自前のブラウン管を製造しテレビの販売を始めると、販売力の劣るシャープはたちまち追い抜かれてしまった。早川はブラウン管を自社で生産できなかったことを悔んだ。

1970年。社名を早川電機工業から商標名のシャープに統一し、会長となった早川は、社員に対し「他社にまねされるような商品を作ってほしい。新しいテレビを作ってほしい」とその熱い思いを伝えた。若手社員だった町田勝彦(永島敏行)は早川の並々ならぬ情熱を感じた。その頃、早川は技術者から、全く新しい物質の存在を聞いていた。それが「液晶」だった。もしこれを使って液晶表示装置を作れたら「薄くて軽くて消費電力の少ない」ディスプレイが可能になるという。早川はさっそく開発を指示。ここからシャープの液晶テレビへの挑戦が始まったが、その道のりは苦難を極めた。
そして1980年、早川は夢のテレビを見ることなく他界。シャープは液晶テレビの開発を続けるものの月日だけが過ぎていった...。
日本経済がバブル崩壊の最悪期を迎えていた1998年。町田はシャープの4代目社長に抜擢された。液晶事業は赤字・・・。そこで町田が下した驚きの決断とは?

【出演者】
メインナビゲーター:木村佳乃
決断プレゼンター:池上彰
報道キャスター:大浜平太郎

【ドラマ部分】
シャープ4代目社長・町田勝彦 役・・・永島敏行
シャープ創業者・早川徳次 役・・・夏八木勲

【放送】
9月2日(木)21:54~22:54
(テレビ東京系列・一部地域を除く)

最終更新 2010/09/01 19:56
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