テレビ研究所所長ホリイよりご挨拶
2008/04/08
一年ちょっとにわたって、ドガッチに「ホリイのテレビ研究所」を展開させていただきましたが、これで終了でございます。
どうも更新が順当にできなくて、ほんと、中学生のときの夏休みの宿題ができなかった気分をリアルまざまざとおもいだしてしまったくらいで、人間は変わりませんな。8月の30日になってから京都の嵐山のほうへ植物採集して、それをそのまま紙に貼って提出したら、「草がナマやがな」と生物の先生に言われたことやら、美術の作品提出が10月1日になってしまって、10月に夏休みの宿題を出された美術の先生はしばらく絶句して、「まあ、とりあえず、受け取っとくわ」と絞り出すように一声もらったこととかを思い出してました。そんな話はよろしい。
テレビというのは、つねに現在でしかない。
いま何を作っているか、いま何を放送しているかがすべてだ。過去の作品はただ忘れ去られるのみである。残ってさえいないからね。そういうものなのだ。流れいくものを、流れていってるにもかかわらず、そこを無理に止めて断面を見せようとするのが私の作業で、でも止めてる最中にすぐに流れ始めていて、きりがありません。そこがおもしろくもあるんだけどね。
ただまあテレビの状況は、デジタル化とそれからユーチューブやらによってどんどん変わっていこうとしてるところで、それはどこへ行くかってえと、どこへも行きませんな。たぶん、そこにはただ風が吹いてるだけというか、風邪を引いてるだけというか、ひたすら解体してゆくだけでしょう。テレビにまつわる信仰や利権はもちろん全体としては巨大なまま残っていくんだろうけど、いまはわかりやすいように寡占化されていて、これは扱いやすいやってんでデジタル化と銘打って、すべてを管理してゆこうとお上はおもってるわけで、こんなもの管理されるとわかったら、みな一斉に必死で逃げるにきまってますがな。となると巨大なテレビ業界というのはゆっくり解体されていって、それぞれにそれぞれ小さくなり、でもそれぞれで肥大化して、小さくしっかりと利権化してゆくんだろうなあ、とおもいます。現場は変わらないけれど、あまり世間に直接リンクしにくくなるって方向ですね。はい。ま、それはそれでいいんです。
テレビは常に現在でしかないため、テレビの現場はいつも忙しい。止まってるわけにはいかないからね。だから考えずにすむことは、ひたすら踏襲されていくし、そんでもってテレビ批評は常にモニターの前に座ったままだから、どうしても、ないものねだりをしていくしかない。両者には哀しいくらいの断絶があって、どこかで出会おうという気もないだろう。土曜や日曜の朝に、視聴者の意見を聞くという不思議な番組を民放がやっているけれど、あそこに漂っている硬い空気と、その空気をまったく和らげようとする気のないスタジオというのが、つまりはテレビと視聴者の変わらない位置関係を象徴してるとおもう。象徴なんてむずかしい言葉を使ってる時点で、だめだな。いやおれがね。まあいいや。
テレビ批評と現場が交わることがないというのは、でも考えてみればこれはこれでいいわけで、一般視聴者がマジにテレビ制作にかかわってくると、ろくなことにならず、大きな不幸にまっしぐらに向かって行くことになってしまうから避けたほうがいいです。でもまあ、とにかくテレビから出てくる異常に大量な情報は、すでに人の手に負えるものではなくなってきてるってことですね。大量な情報なのに、すぐに使えなくなる情報だというところもすごいんだけど。
ま、そんな難しい話をしたいわけではない。
テレビを語るには、同時代性が強く必要なわけで、それはインターネットと通底してるんだな、とおもいました。テレビとインターネットは相性がいいというか、そもそもテレビという存在が、インターネットの可能性を引っ張ってきたんだとおもうんだけど、だからって、両者が同時に同じように動いていてもしかたない。同時代性だけじゃだめだ。テレビ内容の中継になってもしかたない。
だから批評性と同時性を瞬時に出すってのは、かなりむずかしい芸当なんですな。そのへんがテレビ批評のむずかしいところで、老人のテレビ批評って、ただの愚痴だからなあ。
あと、ブログって、アクセス数が簡単にわかるから人気の度合いが簡単にばれて、つまり書いているものの成績がいつも簡単に出ているということなんですね。なかなかシビアなところです。ただ、それは時事的な内容をちらっと載せると瞬間最大風速としてすごいアクセスを導いたりして、でも最大風速は一瞬で去ってしまうわけで、そのへんの匙加減はむずかしいですな。ま、便利になればなるほど、じんわり自分の陣地が減っていくということですよ。それが21世紀的日本社会だなあ。
にしても、テレビは見てると止まりませんな。
ぼーっと見てるとどんどん暇がつぶれていく。暇じゃない時間もつぶれていく。それだけ力が大きいわけで、どんな状況になろうと、これは変わらないでしょう。テレビは姿を変えて、おそらくどんどん細分化されて、生活のあらゆる部分に浸透してゆくばかりでしょうな。なんて、けっこう難しい話をしてるな。難しい話をしてるときって、あまり人はいい状態じゃないですな。へへ。ま、そんなふりをしてるばかりですよ。元気元気、ふりかけ元気だったわけで、なかなかスリリングなドガッチテレビ研究所更新との戦いでありました。
いろいろありがとね。
また。
ぢゃ。


堀井憲一郎



